FT買収に関する報道に思ふ

 梅雨明けから連日暑い日々が続いています。

 先週末、日経新聞がFinancial Times(FT)を買収するという報道が、文字通り世界中で飛び交いました。経済に疎い私でもFTの名前とその名声ぐらいは知っており、まさに「驚き」でした。そしてまず目に飛び込んできたのはその買収額、1600億円という数字です。これまた「高い!」と驚きました。が、その妥当性については様々な見解があり、買収の価値をFTのブランド力等を含め総合的に判断すると、専門家の間でも賛否両論あるようです。

 約1600億円を高いと瞬間的に思った私でしたが、しばらくして「2520億円」よりも安いではないか、ということに気づきました。2520億円とは、そう、例の新国立競技場建設計画の見直し前のコストです。全く関連性の無い比較ですが、なんとなく面白くないですか。

 さて、買収の評価としては、国内ではポジティブな報道が多く、麻生財務相や甘利経財相も好意的なコメントを発していました。他方、海外では、一昔前のジャパン・バッシング的なものでもノスタルジックものでもなく、FTおよび日経の両方の観点から客観的に分析した冷静な報道がなされているようでした。それぞれの立ち位置からのバイアスを考慮すれば、個人的にはどの報道もさして違いはない感じです。ただ一つを除いて・・・。

 それは「報道の自由」に関する懸念でした。海外各紙は、オリンパス粉飾決算問題やタカタのエアバック・リコール問題などを例に、日本のジャーナリズムのあり方に疑問を呈し、特にオリンパスの問題では、最初に報じたのはFTである一方、日経は事件に触れざるを得なくなるまで報道しなかったと指摘していました。フォーブス誌はさらに辛辣で、「上手くいかない買収(“Japan Takes The FT: This Will Not End Well”)」と題した寄稿記事のなかで「英語圏の感覚でいう報道の自由は日本には存在しない。日本のメディアは、恐ろしいほど愛国主義的な官僚主義にコントロールされている」と断言していました。個人的な日頃の感覚では、そのようには感じませんが、実は知らぬ間に目隠しされておかしな水を美味しいと飲んでいるのかもれません(過激すぎかしらん)。そういえば「報道の自由度ランキング」の中で、日本が61位だったのに驚いたことを思い出しました。日常、報道について懐疑心を持ち出すと切りがなく、ピリピリ感じる必要はないとは考えますが、このようなことを頭の片隅において、時に疑問を持つのは大事なことだろうと感じる今日この頃です。ただし、その検証はなかなか難しいようですが。

ミトコンドリア病研究に関する記事に思ふ

 台風は中国地方を抜け日本海を北東に移動中です、朝から小雨がぱらついましたが、晴れ間が戻ってきました。

 ミトコンドリア病という疾患があることを海外のニュースサイト(AFP日本語版/他)で知りました。この病気は、日本では厚生労働省特定疾患に指定されていて、推定患者数は数百人で、パーキンソン病アルツハイマー病、糖尿病および難聴などの患者のうち、ミトコンドリア異常が原因とみられる患者を含めると数万人に上るといいます。

 この疾患は、細胞内でエネルギーを作り出すミトコンドリアに関する遺伝子の異常が原因であるとされています。しかし、その発症機構は解明されておらず、効果的な治療法は現在無いそうです。

 そんな中、米国研究チームが、1)患者から採取した皮膚細胞のミトコンドリアから有害なミトコンドリアを取り除く手法、および2)羊のドリーで有名なクローン技術を用いた手法、の両方を通して胚性幹細胞を作り出した、と伝えていました。つまり、最近話題の再生医療に繋がったということです。だだし、記事では「治療の夜明けだ」という一方で「まだまだ先は長い」という趣旨のことも記載されていました。

 素晴らしい研究に関する記事ですが、それとは別にある思いが浮かびました。それは、この記事を含めこの種の医学研究や疾病に関する事柄は、欧米ではある程度ニュースにもなっているようですが、日本ではどうも注目度が低いように思えることです。筋萎縮性側索硬化症(ALS)という疾患は、例の米国発アイス・バケツ・チャレンジで知名度が上がり、関連支援団体では寄付金が一気に増えたそうです。それはそれで良いことですが、逆にそんなキャンペーンがなければ注目されていないということの証でもありまた。また、他にたくさんの指定難病がありますが、どういう状況なのでしょうか。かくいう私も結局はそのような関心度の低い一人ですので、偉そうなことは言えません。問題提起はしたものの、知識も知恵も財もなく、ただただ現状から何とか少しでも良い方向に進んでほしいなぁ、と思うばかりです。

台風とお惣菜

 台風11号が日本に接近中です。現在、四国沖を北上中で、まだ関東地方からはかなり遠いですが、その進路と特性のためか、この地でも大気が不安定で、時折強い風が吹いたり横殴りの雨が降ったりしています。

 このような時に外出すると、靴や服がグジュグジュになり、仕方のないことだと言い聞かせながらも気が滅入る一方です。また、たとえ室内にいても、ふと窓の向こうの光景が目に入ったり、時折聞こえる風の音に反応したりして、多少なりとも心配になります。

 さて、嫌な嫌な台風の日ですが、ちょっとだけラッキーなことがありました。それは晩ごはんを求めてスーパーに寄った時のことです。いつものパターンだと、時間的に心惹かれるお弁当やお惣菜はあんまりの残っていないことが多いのですが、今日は違っていて、バラエティーに富んだお弁当やお惣菜が残っていました。しかも、いつもより早い時間帯ながら店員さんが「半額」シールを貼りだしていたのです。

 思うに、普段なら来店する主婦などのお客さんが、雨風を嫌い来店しなかったりして、結果的に品物が売れ残り、こうなってしまったのでないでしょうか。さらに、天候の悪化を想定して、従業員は可能な限り早退させるという判断をお店が下し、その対応が状況に拍車をかけたのかもしれません。いずれにしても「『半額』シール」はお店としては苦肉の策で、恨めしい限りでしょうが、私としては恥ずかしながら一寸嬉しかったです。

 若干ずれた引用かもしれませんが、風が吹けば桶屋が儲かる、という言葉があります。要因解析は私の勝手な想像で、実は単なる偶然だったのかもしれません。しかし、こじつけを色々と考えるだけでもなかなか面白いものです。

食の欲求

 本日も快晴なり。しかしそれも今日迄で、猛烈な台風が近づいている模様です。

 最近の食を振り返ると、魚と肉をだいたい交互に食べていて、魚の種類は様々ですが、肉は鶏肉と偶の牛肉で、豚肉を食べる頻度は少ないようでした。豚肉をあまり食べていないのは単純で、そう、好みではないからです。

 ところが、一昨日ぐらいから何となく豚肉を食べたくなって、昨夜は豚のしょうが焼きを食べました。豚肉は疲労回復効果が他の肉より高いのですが、実はその時、どうも疲れ気味で、まさに体が欲していたのではないかと思います。過去にもこういうことが時々あり、以前は、急にサラダを大量に食べたくなったこともあります。この時は体が野菜を欲していたのでしょう。

 あくまでも自分の感覚と考えによるものですが、ヒトの体とはよくできているものだと感心します。

カナカナ

 今日の朝は、目覚めた瞬間から蒸し暑く感じたのですが、案の定、今季初の熱帯夜を記録したそうです。そして日中は、本日も梅雨の最中ながら、晴れ、晴れ、晴れでした。

 さて、数日前から夕暮れ時にヒグラシの声を聴くようになりました。ギラギラと照らす太陽が沈み、薄暗くなってくると「カナカナカナ・・・」と響きだします。暑さは若干和らいだとはいえ、まだまだ蒸し暑さが残っている時間帯、そんな時でもヒグラシの声が聞こえると、なんだか涼しく感じます。風鈴もそうですが、暑さと何ら関係のない音や声によって、感じ方が変わるとは不思議なものです。

 ところで、あれっ、そういえばヒグラシが鳴くのは夏の終わりから秋にかけではなかったかな、確か、俳句では秋の季語だと習ったような気がするのですが・・・。こういう時はウィキペディア。早速調べてみると「ヒグラシは梅雨の最中の6月下旬ごろから発生し(中略)以後は9月中旬頃までほぼ連日鳴き声を聞くことができる」とありました。それから、もう一つ思い違いがありました。ヒグラシはその名の通り、夕方しか鳴かないと思っていましたが、実は朝夕鳴くそうです。そういえば、今朝、ヒグラシの声を聴いたのを思い出しました。その時私は「呆けたヒグラシだな。まだ梅雨だし。しかも朝だし」と思ったのですが、なんのことはない、ボケは私自身でした。因みに、ヒグラシは秋の季語というのは正しかったです。

 昨日も今日も日中35度を超え、これから梅雨が明けると、更に厳しい暑さが待っています。しかし、朝夕にはヒグラシの声を聴いて涼感を感じることができると思えば、気分が多少は上向くのではないでしょうか。無理かしらん、カナカナカナ・・・。

抗がん剤の影響

 今日の天候は晴れ。梅雨の合間の日差しが心地よいです。

 「がん治療を受けた青年は成人してからも問題を抱え得る」というロイター通信の記事を読みました。それはある医学論文に基づく記事で、ざっくり言うと、10歳代でがんに罹患したが治療により生存している人は、将来、うつ病や不安障害に加え、記憶や作業効率に問題がおこる可能性がが高い、という内容でした。評価項目には、社会性に関する項目もあり、進学率が低い、正社員に就けない、さらに結婚率が低い、自立した生活ができにくい、という結果がでていました。

 記事の中では、10歳代患者のがんは生物学的に成人のものとは異なるので、より積極的に治療する傾向にある(のが要因の一つだろう) という研究者のコメントが引用されていました。それに関連してググってみると、日本のある医師が「(ある特異な小児がんにおいては)早期に抗がん剤治療をし、転移がほとんど見られない場合、10人中6~7人は10年~20年延命する。しかし彼らは延命はするが、繰り返される抗がん剤治療の影響で、後期傷害(late effect)といわれる抗がん剤の副作用がずっと残り、その多くが苦しみながらも生きながらえている」といった趣旨のことを述べていました。

 以前、がん全体の内、血液のがん、リンパ性の癌と一部の特殊な癌は治ると聞いていたので、そういった患者さんは希望が持ててよかっただろうと思っていましたが、実は癌から生還したとしても困難が待ち受けているという現実をしり、「えっそうなの!」と驚くばかりでした。正確に言えば、健康である私には軽々しく言葉を発せなかった、というのが正直なところですが。(注:記事の中に、がんの種類の記載はありません。)

 私ががんの記事に目が留まるようになったのはごく最近であり、私自身や身内が心配などということは全くないのですが、機会があれば少しは掘り下げるようになりました。とはいえ、専門家でないので当然わからないことだらけです。現実問題としてがんが解明されていないので、情報が錯綜して分かりにくくなっているかもしれません。そういう状況を差し置いても、情報化社会といわれる昨今、がんに関する情報が氾濫するのはやむを得ないでしょう。情報の海に溺れぬよう、その時々研鑽すべし、と改めて思った次第です。

そうめん

 今日の空は青く、天井が抜けた感じで、眺めただけでも心が晴れます。湿度も一転、外に出て、散歩でもしたら気持ちよさそうです。

 さてさて、そんな感じで窓の外を眺めてリラックスしたら、何となく素麺が美味しそうに頭の中に浮かんできました。昔からの素麺好きのような書き出しですが、実は、素麺を食べたいと思うようになったのはほんの最近、昨年の夏ごろからです。子供の頃、豚の脂身大好き少年だった私は、人びとが素麺を「おいしいね!美味しいね!」と食べるのを不思議に思っていました。素麺に気が向くようになったのは、年を重ねて、素麺のあの見た目の風流さも分かるようになったからでしょうか(決してオヤジになったからではない、と思いたい・・・)。

 幼少期に思いを馳せていたら、白い細い麺を冷麦と表現している人がいることも思い出しました。少し前までほとんど素麺に興味を示さなかったので、ほとんど気にしてなかったのですが、調べてみると面白いですね。冷麦と素麺と同じようなものですが、実は、太さで分かれているそうです。また、区別は製造者それぞれの感覚かと思いきや、なんと日本農林規格JAS規格)で定義されていました。しかもJAS規格には饂飩もきし麺も記載されています。パスタの本場であるイタリア、古くから麺文化をもつ中国、健康的なフォーで有名なベトナムなど、数多く麺を製造・消費する国はありますが、規格化されているのは日本ぐらいではないでしょうか。他国のことは調べていませんが、いろいろな意味で、恐るべし日本です。

 素麺のイメージがまた浮かんできました。大きなガラスの器でタップリの氷水に浸る細い麺。薬味はシンプル、葱、生姜、それに茗荷。麺つゆを手に取り、薬味を入れて準備完了。器に箸を伸ばしてすくい、つゆにつけて勢いよくすする。美味しいですね~。そうこうして麺が減ってくると、麺をすくうときに残っていた氷がガラスの器の縁に当たって、カラカラッと音を立てだす。何ともいい感じです。そして、最後の一麺まですくって、あー満足。ご馳走さまでした。